「外国人の人権」 ( 浦部 法穂 )

参政権社会権、入国の自由は外国人に保障されない、あるいは、その他の人権についても、日本国民とは異なった制約が認められる余地がある、などの議論は、すべて一般論である。

ところで、外国人とは、いうまでもなく、日本国籍をもたない人のことである。 しかし、日本国籍はもたないけれども生活の実態は日本国民一般と変らないという外国人もいる。 永年にわたり日本で生活し、あるいは日本で生まれ育ち、日本に生活の本拠を置く外国人(いわゆる「定住外国人」)である。 一時的に日本に在留するにすぎない外国人については、上述の一般論をそのままあてはめても、不都合はないといいうるかもしれない。 たとえば、観光旅行で日本を訪れている外国人に、たまたま選挙があるからどうぞ投票して下さいといってみても、無意味である。 あるいは、そういう人たちの社会権の保障は基本的に本国政府の責任とすることも、いってみれば当然のことである。 しかし、日本に生活の本拠を置き日本で生活をしている外国人について、日本国籍をもたないというだけの理由で、人権の保障について日本国民と異なった取り扱いをすることに、はたしてどれだけの合理性が認められるであろうか。 生活の基盤は日本にしかないという外国人に、あなたの社会権はお国の政府に保障してもらいなさい、ということは、なんの慰めにもならない無意味なお題目である。 現に生活をしているここで保障されなければ、意味がないのである。 あるいは、また、こういう外国人にとって、日本への入国の自由とは、ほかならぬわが家へ帰る自由である。 それでも、外国人である以上入国の自由はない、ということになるのであろうか。

そして、もう一つ、参政権について。 日本に生活の本拠を置き日本で生活をしている外国人は、日本国民とまったく同じように、日本の政治のあり方に関心をもっているであろうし、また、もつことが当然である。 日本国憲法における「国民主権」の原理は、こういう外国人の参政権を否定するものとして理解しなければならないというものではあるまい。 少なくとも民主主義の観念と結びついた「国民主権」の原理の根底にあるのは、一国の政治のあり方はそれに関心をもたざるをえないすべての人の意思に基づいて決定されるべきだとする考え方である、ということができよう。 そうだとすれば、日本国民とまったく同じように、日本の政治のあり方に関心をもたざるをえない外国人に参政権を保障するとしても、「国民主権」の原理に当然のように反するということにはならないはずである。 むしろ、そのような外国人にも参政権を保障してはじめて、本当の民主主義政治が成り立つというべきであろう。

要するに、人権の問題を考える際に重要なのは、その人の国籍ではなく、生活の実態である、ということである。 とくに生活の本拠が日本にしかない外国人については、日本国民とまったく同等の人権保障が及ぶとしなければ、それらの人々の人権は、実際問題として、無に等しいものとなる。 人権は、人間らしい生活のための基本的権利であるから、これらの人たちの人権は、生活の場であるこの日本においてこそ、保障されなければならないのである。 いわゆる「定住外国人」については、日本国民とまったく同じように人権保障が及ぶと考えるべきであり、そのほかの外国人についても、外国人だからという一括りで考えるのではなく、それぞれの生活実態に応じて、実質的に人権が保障されるように解釈すべきである。


日本評論社 「全訂 憲法学教室」 浦部法穂著 p.58-p.60 / 第1章 基本的人権総論 第2節 人権の享有主体 1 外国人の人権 (4)日本に生活の本拠を置くいわゆる「定住外国人」については、日本国民とまったく同じように人権が保障されると考えるべきである。 ]